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2011年東日本大震災手記(当時のメモ)改めて語る 東日本大震災ドキュメント8

安倍晋三先生が
物資を積んだトラックで被災地へ
そこに、14㌧もの物資を積んだトラックで安倍晋三先生(現総理)が到着、奪還の会メンバーと一緒になって物資を配った。さすが人気者、すぐに人だかりができた。丁寧に一人ずつ握手し、激励した。安倍先生の人気の源は、被災者の皆さんと同じ目線で接すること。これが当時の政府の人達に一番欠けているものだ。安倍先生は相馬から新地へと避難所を世耕弘成先生と一緒に回り、たくさんの物資を届けてくださった。最後に福島市の私の事務所に寄り、事務職員と同じカレーを食べて帰った。

10㌧トラックと4㌧トラックの2台で応援に駆けつけたのみならず、
多くの避難している皆様方に安倍先生自らがしっかり激励しながら配った
奪還の会メンバーと安倍元総理と世耕議員
安倍元総理、世耕議員に現状を報告、一時も早く復旧する事を約束する
相馬市の避難所を安倍、世耕議員と訪問
新地町長の要望を聞き入れ
新地町役場の避難所のみなさんを励ます。笑顔が戻りつつある
若人たちは、この状況の中でも少しずつ元気を取り戻し、気丈にふるまっている。
本当に笑顔を取り戻せるよう、私たちに与えられた使命は一日も早く復興し、
彼らの未来を取り戻さなければならない

さらに捜索活動へ、そこへ谷垣総裁が…
翌27日も奪還の会のメンバーと一緒に、
朝6時に出発、南相馬市へ入った。
一人でも多くの被災した方々を
家族のもとへ帰そうと全員が頑張ってくれた。
そんなところに谷垣禎一総裁(当時)が激励に訪れた。
私達のバスの前面には『自由民主党災害対策本部』
との張り紙。メンバー一人ひとりと握手をして、
労いの言葉と「頑張れ」と檄を飛ばしてくれた。

わたしの誇れる素晴らしい仲間たちだ。私は心から心から頭を下げたい
私達の活動は黙祷からから始まる。これだけの災害は過去にはない。
私達にできることをしっかりやることを改めて心に誓い捜索活動を始める
自民党災害対策本部から西村康稔議員が視察に来られた。亀岡が戻り、現状を説明する
地元の指揮官である南相馬市の中川庄一市議から説明を受ける谷垣総裁
困り果てている飯舘村の災害対策会議。村長はじめ議員と谷垣総裁との会議で、さらに詳しい事情
を話す亀岡。事前に歩いていたから言うべき事も、やるべき事も分かっている。
「やる」と自分のしりをたたく発言をする

28日は、
私の地元も大変な思いをしているとの
国見町民の声で国見町へ飛んで行った。
もちろん奪還の会メンバーとともに駆けつけた。
倒壊した家屋も多く見られ、また避難した人たちを
多く受け入れていて大変な状態だった。
全面的な協力、支援を約束し、
食材を届けて帰ってきた。
大木戸ふれあいセンターを回り、
パルセ飯坂の避難所に
ワコールの下着類を届けた。
あっという間にすべてなくなった。
奪還の会のメンバーが手分け
して頑張ってくれたが、
人だかりの中に埋没して見えなかった。
この日、奪還の会のメンバーは帰京した。

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