令和4年福島県沖地震から1週間が経ったが、まだ余震が続いている。「この先の生活は?未来は?」不安を振り払うかのように片付け作業に向き合った方々。各市町村の被害取りまとめから要望をまとめ松野官房長官へお届けした。2011年3月11日の東日本大震災・原発事故からの復旧・復興に加え、台風被害や地震被害が絶えることなく、一刻も早く被災者の生活再建、被災地の復旧のために前例にとらわれない支援が必要とつよく要請!
度重なる地震による建物の復旧のための予算付けと同時に、伊達橋の復旧をより迅速に実現化するために悩んだ結果まずは仮橋で住民の皆様が通行できる環境を整えるため、仮橋の整備を物価高対策費をも活用した形で通常ではあり得ない異例のスピードで通すことができました。
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令和4年3月16日23時36分
令和3 年2 月13 日、午後11 時7 分頃、福島県沖を震源としたマグニチュード7.3 の地震が発生。そ
の傷を癒す間もなく、翌年3 月16 日23 時36 分には再び福島県沖でマグニチュード7.4 の地震が発生し
ました。伊達市においても震度6 弱を記録、市内各所に大きな爪痕を残すことになりました。
市内、阿武隈川を渡る橋の多くが大きな被害を受け、市民生活に大きな影響を及ぼすことになりました。
私のもとへは地震発生直後より、伊達市にお住いの方々のみならず、橋を利用する多くの方々から、切実
な要望が続々と届きました。
「これは大変な事になっている。一刻も早く何としなければ! それこそがこの地域から選ばれた政治家の使
命なんだ。」当時私は、うわごとのように、その言葉を繰り返していました。
初動が肝心!
まず関係する市町村の首長と連携確認、次いで3 月19 日、国交省の職員と共に、現地視察を実施しました。
そして報告書をまとめ、総理官邸へ。安倍総理に向けて事の重大性をアピール。
その結果、伊達橋は「直轄権限代行」、そして伊達崎橋の復旧については、いち早く対応ができるように
国が工事を行う「修繕代行事業」としてすすめる事ができました。
ところが、伊達と繋がる周辺道路は主要な経済道路であり、大切な生活道路でもあります。一刻も早い再
開が望まれますが、災害復旧工事ですと全災害の調査が終わらないと工事に入ることができません。(時間が
掛かります)
直轄権限代行
さて、どうしたものか?そこで私は新しい手法を生み出すに至ります。状況的に「多重災害」と認められるのではないか?考えうるネットワークと手段を駆使し動
きはじめました。関係者と連携し多方面から国へアプローチを開始。まず要望を県から国あげていただき、そして一方で私は財務省に日参、事業の重要性をとことん訴えました。そして思いが通じ、いよいよ念願の予算を確保する事に成功したのです。
まさに関係者の協力と執念が実を結んだ瞬間でありました。 その後も熱意ある働きかけにより、伊達橋橋に続き、伊達崎橋の工事についても「修繕代行」で国をあげての事業へと格上げされました。 但し、伊達橋については復旧工事に相当の期間を要する為、仮橋の設置を行う事が決まりました。(これには後日談があり、「仮橋であるが、物流輸送上重要であるため、トラックも通行できるようにしてほしい」との要望が寄せられ、それに応える形で工事を進めています。)
伊達崎橋も修繕代行へ
その後も熱意ある働きかけにより、伊達橋橋に続き、伊達崎橋の工事についても「修繕代行」で国をあげて
の事業へと格上げされました。 但し、伊達橋については復旧工事に相当の期間を要する為、仮橋の設置を行う事が決まりました。
(これには後日談があり、「仮橋であるが、物流輸送上重要であるため、トラックも通行できるようにしてほしい」との要望が寄せられ、それに応える形で工事を進めています。)