活動報告

副大臣公務

政府を代表しての活動(一例)・さらにその先へ(文部科学副大臣1年間の活動を振り返る16)終

政府の一員として様々な場に立ち会わせていただいた。
ここではほんの一部ではあるが、活動の記録として紹介したい。

令和元年10 月
令和元年度「体育の日」中央記念行事@味の素ナショナルトレーニングセンター(東京)
この日はあいにくの雨で、予定されていた屋外でのイベントは中止となった。楽しみにしていた参
加者には残念であったろうが、屋内のイベントは実施され、参加者は、オリンピアン、パラリンピア
ンとの交流を楽しんだ。

令和元年12 月
東京フォーラム2019@東京大学安田講堂
東京大学主催の国際フォーラムで開会挨拶を行った。世界各地から異なる背景をもった多様
な人々が一堂に会し、現代世界が直面している課題解決と、
未来の地球と人類社会のあり方について、自由に情報と意見を交換した。

令和2年1月
全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)@武蔵野の森総合スポーツプラザ(東京)
春高バレーの開会式で挨拶した。福島県からは、男子:相馬高校、女子:郡山女子大附属
高校が参加した。競技は違う(自分は野球)が、全国大会の開会式には気持ちが高ぶる。

令和2年3月
「復興の火」福島市式典@福島駅東口広場
東京オリンピックの聖火が到着し、聖火リレーに先立って被災三県を回るイベントが行われ、オリパラ担当副大臣として挨拶した。
(写真後列右から、亀岡、布村組織委員会副事務局長、内堀福島県知事、木幡福島市長)

令和元年12 月
令和元年秋の叙勲勲章伝達式@国立劇場(東京)
厳かな空気の中、教育、文化等の文部科学省関係の叙勲勲章の伝達を行った。
写真は歌手の由紀さおりさんに伝達するときの様子。

令和2年1月
令和元年度教育者表彰授与式@日本消防会館(東京)
学校教育の振興に特に功績顕著な教育者の功労をたたえる表彰。
今年度福島県からは、喜多方市立第一小学校佐川正人校長、
会津若松市立第三中学校歌川哲由校長、
県立磐城高等学校阿部武彦校長が受賞した。

令和2年1月
第8回ものづくり日本大賞表彰式@総理官邸
総理とともに、内閣総理大臣賞を受賞した埼玉県立大宮工業高等学校ラジオ部の生徒と。
スポーツに限らず、自信と誇りを持って何かに取り組めることはとても素晴らしいことだと感じた。

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令和元年9月
ラグビーW 杯開会式開幕戦@東京スタジアム
ラグビーW 杯の開会式に担当副大臣として出席。日本対ロシアの開幕戦を観戦。
結果は見事日本代表の勝利。その後の躍進はご存じのとおりだ。
【浮島前文部科学副大臣(右)、鈴木スポーツ庁長官(中央)】

令和元年10 月
竣工前の新国立競技場
@新国立競技場(東京)
竣工を目前に最後の仕上げが行われている新国立競技場を視察した。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会のメインスタジアムに相応しい施設が完成した。
ここを舞台として世界に感動を与える大会を是非実現したい。

令和元年12 月
第6回双葉郡ふるさと創造学サミット
@ビックパレットふくしま
双葉郡8 町村の学校は、「ふるさと創造学」として地域を題材に取り組む探究的な学習活動に取り組んでいる。
同地区の小中学校、県立ふたば未来学園中学校・高等学校の児童生徒が一堂に会し交流が行われた。

令和2年2月
福島水素エネルギー研究フィールド開所式
@福島県浪江町
世界最大級となる10MW の水素製造装置を備えた
「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)」の開所式に出席した。
ここで製造された水素が、専用トレーラーで輸送され、東京オリパラで活躍する。

令和元年10月
タイ教育省副大臣の表敬
@文部科学省副大臣室
タイ教育省副大臣のソポンパニット氏
(左から2人目)らの表敬を受けた。
日本の職業教育に強い関心を持っており、高等専
門学校を通じた連携について意見を交わした。

令和2年1月
トルコ国民教育省副大臣の表敬
@文部科学省副大臣室
トルコ国民教育省副大臣のオルファン氏らの表敬を受けた。
お土産でいただいたトルコの民芸品(刺繍)は副大臣室に飾っている。

令和元年11 月
福島県原子力損害対策協議会
@文部科学省副大臣室
上野副大臣とともに、協議会の鈴木会長代理(左から3人目)らと面会し、
要望書を受け取った。

令和2年2月
地域医療確保に関する国と地方の協議の場
@都道府県会館(東京)
稲津厚労副大臣、長谷川総務副大臣らとともに出席し、知事会、市長会、町村会の
代表者と医師偏在対策等について意見交換を行った。

文部科学省に設置された台風19号対策本部に出席。
事務方で構成される会議ではあったが、
対応が後手に回らないように敢えて出席し陣頭指揮をとった。
東日本大震災や防災担当政務官を経験した者として、
初動が大事だということは身にしみている。

文部科学省若手職員との昼食写真。
昼食に選んだのは私が40年来愛好しているトンカツ。
普段は幹部職員に檄を飛ばしているが、若手職員との会話には自然と表情も和らいだ。
なお、このときの昼食は「NHK 政治マガジン永田町・霞が関のサラめし」でも紹介された。
https://www.nhk.or.jp/politics/salameshi/32483.html

毎日、教育からスポーツまで幅広い案件について文部科学省職員から報告、相談、決裁などがあり、多いときには10件以上に及ぶこともある。
行政の遅滞を招くことがないように、限られた時間のなかで課題や問題点などを的確に把握し、指摘、指示することが必要だ。

さらにその先へ

文部科学省との関わりは、5年前の自民党文部科学部会長から、国対副委員長時代、衆議院文部科学委員長を経て、文部科学副大臣と長く続いている。
かねてより私は、「教師こそ最高の職業」と信じ、人の成長に係わる仕事の尊さを主張してきた。
思い入れが強い分、文部科学省には大いに期待をしている。一方で、近年の混乱から見えてきた組織としての体質に大いに疑問を感じることもあった。
役所には役所の言い分がある。どこの組織でもそうだろう。しかし、これだけは譲れないと職員に言い続けたのは、
「その仕事は何のためにやっているのか、誰のためにやっているのか。役人のためじゃないだろう、組織のためじゃないだろう。」ということだった。
就任時から「自分は文部科学省の敵」と公言し、内部から意識改革を狙ったが、手応えと期待と心配が入り交じっている。
今後どのような変化が見られるだろうか注視したい。
一議員として、国民のため、地元のためにと純粋に突き進んでいくのとは違い、政府を代表する立場にある者に求められる行動にはどうしてもしがらみが付きまとった。言いたいことをぐっと踏みとどまり、理解しがたい暴論にもぐっと堪えることにストレスがたまることもあった。
しかし同時に、言いたいことを言っているだけでは国の舵取りはできないことも改めて痛感した。いわゆる「上手くこなす」ことは私には出来ない。ぶつかっても叩かれても筋を通すことが私の信念である。引き続き、「行動で結果を出す」ことにこだわり続けたい。

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