ある日突然亀岡よしたみ

国政を目指し衆議院議員選挙に挑戦し続ける亀岡の姿を見続けた柳沼様の執筆によりこの本ができました。亀岡よしたみの原点ともいえる生い立ちや国政を目指す姿を記したこの本を当ホームページでもご紹介させていただきます。

―はじめに―

 ある交差点の話

 福島市内に岩谷下交差点というところがあります。国道四号線が競馬場を通って、国道一一五号線と交差し、さらに信夫山の山すそを抜けて国道一三号線に出るルートが交わる地点で、朝夕のラッシュ時はもちろん、普段の交通量も非常に多いところです。しかもここの道路は幅が広いうえ、横断歩道が斜めに切ってあり、歩行者にとっての距離が短いのに、信号はわずか十五秒ごとに変わってしまいます。

 言うまでもなく、この交差点ではよく事故が起きていました。私の事務所は、以前この近くにあり、毎日この交差点を通っていましたから、よく事故の後始末をしている光景を目にしていました。ある日、大勢の人が集まっているので思わず近づいてみると、買いもの帰りの自転車の女性が横断し切れぬうちに左折してきた車にはねられた直後でした。自転車はアメのように曲がり、夕ごはんの材料らしい豆腐や野菜がグチャグチャになって散乱していました。車のドライバーはただ呆然とそこに立ちつくしていました。はねた人にもはねられた人にも、それぞれのくらしがあり、それぞれの願いや夢があり、それぞれの人生があったものが、一瞬のうちにそれらが砕け散ってしまう―悲惨ときりいいようのないことです。

 交差点近辺の五十辺地区の住民は、絶えない事故を見かねて、町内会長である斎藤電機社長の斎藤好高さんを中心に、市と県、建設省に実状を訴え、青信号の時間を延長すること、横断歩道を道路と直角にして出来るだけ渡る距離を短くすることを、くり返し陳情してきました。

 しかし、斎藤さんたちがどんなに頑張っても、調査もしてもらえず、事態は何ひとつ変わりません。それでは、と政治家に頼ってみましたが、同じことでした。その間にも、事故は起き続けます。

 このことが、亀岡偉民さんの耳に入りました。斎藤電機社長の息子さんが、福島商工会議所青年部で、たまたま亀岡さんと一緒に活動していたのです。「友達の親父さんや町の人たちが困っているんだから、何とかしてみますよ」亀岡さんがすぐ、岩谷下交差点に行き、実際に横断してみました。-スポーツで鍛えた彼の足でも、道の三分の二ほどで青信号は点滅になってしまい、今か今かと信号待ちをしていた車がドッと突進してきます。

 亀岡さんはすぐ、建設省の福島工事事務所に出向き、実情を訴えました。返答は気の遠くなるような話です。「岩谷下交差点は。重大事故頻発地ではないから、全国の交差点の改良工事の順番で待つと三十年かかる」というのです。

 激怒した亀岡さんは、東京の建設省本庁に行きました。つくなり担当官に「福島の岩谷下交差点に十億円出してください!」-あっけにとられている担当官に実情を訴えると「順番がありますので、何年か待ってくれれば予算をつけます。」との返答です。「その間にあと何人殺すんですか!!」亀岡さんは思わず怒鳴ってしまったそうです。

 しかし、これまで何をやっても変わらなかった現状に、一つの見通しだけはつきました。平成十一年の十二月、亀岡さんが住民と行政のとの話し合いの場を、五十辺地区集会場に設けました。市、県、国の担当官と、斎藤さんはじめとする住民がはじめて意見を交わしあったのです。

 そのわずか二日後、あれほど熱心に交通安全のために心を砕いてきた斉藤さん自身が、岩谷下交差点で事故にあい、亡くなりました。

――それから半年――三十年待つという計画は早まり、横断歩道は道路と直角に改良されました。亀岡さんが直訴した通り十億の予算の見通しがつき、調査設計料が正式につきました。この八月から本格的な設計が始まります。今度はエレベーター付きの陸橋になるということです。

 「これでやっと、みんなが安全に通れる道路になります。斎藤電機社長はじめ、亡くなった方々の貴い犠牲のうえに実現した陸橋計画ですが、これ以上、人の命が失われることがないように祈るばかりです」と亀岡さん。

 これは、一地方の一地区の、一つの交差点の出来事です。しかし、この小さな話の中に、大切なことが見えてくる気がします。

 みんなが困っていることを知って、ひとりの人間が本気になって行動できること。いきなり建設省の本庁に行って直談判できる力と人脈を持っていること。そして、命をなにより大切にする熱い心を持っていること―これこそが、政治家に求められる不可欠の資源であり、姿勢ではないでしょうか。

 次ページからの物語「ある日突然、亀岡偉民」は、平成八年秋に、私が亀岡さんから聞いたいろいろの話―生い立ちや、野球一筋の青春時代、ひたむきでしかも笑わずにいられないサラリーマン時代、父・亀岡高夫氏との心温まるやりとりや思い出、夢―などをまとめたものです。

 この物語を通して、亀岡偉民さんの人となりを、ひとりでも多くの方にお伝えすることができれば幸いです。

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