活動報告

副大臣公務

宮城県の復興状況を確認して参りました!

南三陸町

被害状況
死者・行方不明者は約800人。町職員も約40名が犠牲に。しづがわ0中心市街地(志津川地区)、集落、農地は、津波でほぽ浸水。
住まい
応急仮設住宅入居者はなし(令和元年10月をもって解消)。災害公営住宅・民間住宅等用宅地とも平成28年度に整備完了。

まちづくり、産業・なりわい
〇中心市街地(志津川地区)の整備が進展。居住エリア・公共施設エリアは高台に造成。嵩上げした低地部では「南三陸さんさん商店街」が開設され、令和2年10月には震災復興祈念公園が中橋の完成と共に全体開園。令和3年3月には「南三陸さんさん商店街」や整備中の震災伝承施設等が道の駅「さんさん南三陸」として登録され、令和3年度中のオープンを予定。
〇水産業(カキ養殖)における国際認証ASC取得によるブランド化や、志津川湾のラムサール条約登録などを推進。

〇古くは砂金の産地であり、平泉の中尊寺金色堂にも使たつがねさん用されたと言われる。また、霊峰として栄えた田束山は、奥州藤原氏三代秀衡から深く信奉された。
〇元禄年間に金が底をつくと、養蚕・製糸業が興される。いりや入谷産の生糸「金華山」は高い評価を受け、伊達藩の繁栄を支えた。明治21年には最新式の機械を備えた製糸工場「旭製しづがわ糸株式会社」が志津川に設立され、同工場で生産された生糸は万博でグランプリも受賞した。
〇志津川湾で水揚げされるタコは兵庫県明石市と並ぶ「東の横綱」と称される。また、ギンザケ養殖の発祥の地でもあり、そのほかワカメ、カキ、ホヤ、ホタテ等の養殖も盛ん。
〇世界最古の魚竜化石とされる「ウタッサウルス」の産地。中生代三畳紀前期にあたる2億4-5千万年前に生息していたという。
〇チリ地震津波(昭和35年)で被災したことをきっかけとしてチリとの交流があり、平成25年、それまで島外不出であったイースター島の石を使ったモアイ像が寄贈された。

①南三陸町震災復興祈念公園

 

②宮城復興局

③市長会より要望を受け取る

主に2点についてご要望をいただきました。1点目は、東京電力福島第一原発事故で発生した放射性汚染廃棄物の処理について。県内では、まず国基準8,000ベクレル以下の廃棄物の処理を優先させる方針のもと、市町村(圏域)ごとに、焼却や農地還元等により、一部の市等については処理が長期化するものの、おおむねの道筋がつきつつあり、引き続き市が取り組む処理に対し柔軟な対応と十分な負担をとの事。一方、国の基準を超える指定廃棄物は、国の処理方針が定まっておらず、いまだ手付かずの状況にある。国がしっかりと責任を果たすようにとの事。2点目は、東京電力福島第一原発のALPS処理水について。政府は4月に、処理水を2年後をめどに海洋放出すると決定し、6月7日には宮城県の官民連携会議と政府の作業部会との合同会議が開催。席上、放出反対意見を含み、厳しいやり取りがされたところだが、いまだ水産物をはじめとした日本産食品の輸入規制が続いており、国内外の理解醸成が不十分な中で、多くの産業にとってさらに深刻な影響が懸念されるところ。復興庁をはじめ、関係省庁が連携、協力して具体的な安全対策、国内外の理解醸成、風評対策などに取り組むようにとの事。

 

④女川町中心部地区・震災遺構旧女川交番

女川町

 

被害状況
〇人口に対する死者・行方不明者の割合が被災自治体の中で最大(8.8%)。〇女川港に面する中心部(観光拠点のマリンパル女川、駅、町役場周辺)は津波で壊滅。

住まい
〇応急仮設住宅入居者はなし(令和2年4月をもって解消)。〇災害公営住宅は平成29年度、民間住宅等用宅地は平成30年度に整備完了。

まちづくり、産業・なりわい
〇まちの中心部のにぎわい創出のため、嵩上げした中心市街地(女川駅前)に公共施設や商業施設(シーパルピア女川等)を整備・集約。平成30年10月に新町庁舎が供用を開始。令和2年8月に小中一貫校の新校舎が完成。令和3年4月から駅前商業施設等を活用した「重点道の駅「おながわ」」が開業。
〇水産業において、水産加工業の集積(加工施設の造成)、養殖ギンザケのブランド化(「みやぎサーモン」/GI認定取得)などを推進。

〇第二次大戦中、女川港は軍事施設として使用され、海軍の防備隊や特殊潜航艇隊が置かれた。終戦直前の昭和20年8月9日には連合国軍の空襲を受けた。0天然の良港と金華沖の良好な漁場を有し、沿岸漁業・水産関連産業が発達。なかでもサンマの水揚げは全国有数を誇ってきたが、令和元年及び令和2年は全国的な不漁の影響を受け、初水揚げも例年より1ヵ月遅れ。また、ギンザケ、カキ、ホヤ、ホタテ等の養殖業も盛ん。
〇町南部には、東北電力の女川原子力発電所が立地。震災後はいずれも稼働していない。※1号機:廃炉が決定2号機:再稼働に向け手続中一令和2年2月26日、原子力規制委員会が新規制基準への適合を認める「審査書」を決定(正式合格)一令和2年11月11日、村井宮城県知事が再稼働に同意表明(地元同意)今後、安全対策工事や詳細設計の審査等が必要。3号機:今後、再稼働に向け審査を申請する方針
〇震災後、震災の教訓を記した「女川いのちの石碑」を町内の21の浜に建立するプロジェクトを開始。令和2年1 1月に21基目の披露式が予定されていたが、新型コロナウイルス感染予防のため延期。

⑤石巻市かわまち交流拠点

石巻市

被害状況
〇死者・行方不明者の合計は県全体の約3分の1を占め、県内で最も多い。
住まい
〇応急仮設住宅入居者はなし(令和2年4月をもって解消)。0災害公営住宅・民間住宅等用宅地とも平成30年度に整備完了。
まちづくり、産業・なりわい
〇石巻駅一帯を津波復興拠点と位置付け、福祉避難所を兼ねる「ささえあいセンター」、地域の防災力向上に資する「防災センター」等を整備0市街地の旧北上川沿いでは、にぎわいの創出に向け、「かわまち交流拠点」の整備(商業施設「いしのまき元気いちば」(H29.6)、観光交流拠点「かわまち交流センター」(H30.9)等)が進められている。
〇牡鹿半島鮎川浜では、「ホエールタウンおしか」を整備(「観光物産交流施設Cottu」、「牡鹿半島ビジターセンター」(Rl.1.0)及び「おしかホエールランド」(R2. 7))。牡鹿を含め、離半島部のにぎわいの維持、防災集団移転元地の利活用は課題。
〇甚大な被害が生じた南浜地区では、国営の追悼・祈念施設を含む津波復興祈念公園を整備、令和3年3月28日に開園。園内のみやぎ東日本大震災津波伝承館は令和3年6月6日開館予定。
〇課題として、最大の被災地でハード事業量が多く、令和3年度に多く繰越事業が発生する。

〇江戸時代、伊達政宗が北上川の改修と新田開発に取り組み豊かな米作地帯を形成。その米などを運ぶ北上川舟運と海運との結節点となった石巻は、仙台藩の経済の中心地として栄えた。
〇平成17年に1市6町が合併し、仙台市に次いで県下第二の人口を擁する市となった。県東部の商業拠点としての役割を担っている。
〇牡鹿半島沖に浮かぶ島・金華山の沖合は寒流と暖流が交わる海域であり漁獲種が非常に豊富で、世界三大漁場の一つに数えられる。この海域で漁獲され石巻に水揚げされたもののうち質の高いものは、「金華ブランド」とされる(金華サバ等)。あゆかわまた、牡鹿半島先端の鮎川はかつて全国屈指の捕鯨基地として栄えた。商業捕鯨は令和元年に31年ぶりに復活し、同2年4月に鮎川港を拠点とした操業も再開。
〇漫画家石ノ森章太郎の記念館「石ノ森萬画館」がある。02020年、自治体によるSDGsの達成に向けた優れた取組を提案する「SDGs未来都市」に選定。

〇市の第2期中心市街地活性化基本計画が目指す「“彩り豊かな食”と‘‘歴史が薫る”川辺のまち」の実現に向け、」豊かな倉柱二生産煮二逍豊煮、ひとの賑わいを創出する」。
〇国の河川堤防工事に併せて、市が土地区画整理事業により基盤整備_を行い、その上に市が立体駐車場・交通広場・交流センター・堤防一体空rdlこ交和型晨を、民間事業者が生鮮マーケット いしのまき元気いちばを整備。
〇「いしのまき元気いちば」のオープンを皮切りに、かわまち立体駐車場・バス駐車場(平成29年11月末供用開始済)、交通広場(平成30年6月完成)、地域交流・観光交流の拠点となる「かわまち交流センター」(平成30年9月完成)、川とまちをつなぐ賑わい空間「堤防一体空間」(令和元年7月完成)、朝市、川開き等のイベントでの活用を予定する(仮称)かわまち交流広場(令和2年度完成)が、順次完成していく予定。
〇「いしのまき元気いちば」の概要
〇 まちなか住民と観光客双方のニーズに応える生鮮マーケットとして、堡年6月30日にオープン。1階には地元産の新鮮な鮮魚・野菜等を手軽に購入できる店舗が、2階にはフードコート形式のレストランが入る。0 水産加工関連12社、地元料理店5店、市、関連企業14社からなる「(株元気いしのまき」(27年12月設立、代表者:後藤宗徳氏)が整備・運営。総事業費約5億5000万円(経産省「地域・まちなか商業活性化支援事業費補助金」約2億5000万円を活用)。


⑥石巻南浜津波復興祈念公園

〇石巻市の南浜・門脇地区においては、石巻市の死者・行方不明者数全体の約1割に相当する約400人の死者・行方不明者が生じ、市内で最大の被害となった。
〇 国(国土交通省)、宮城県、石巻市において復興祈念公園についての検討が行われ、役割分担の下、公園全体の一体的な整備が行われた。全体事業費は約76億円、復興交付金から約41億円。国が担う内容:国営追悼・祈念施設を整備。
〇 宮城県が担う内容:県営公園として一時避難地となる避難築山や駐車場等を整備、公園の海側へ松原を再生。•石巻市が担う内容:運動やレクリエーション等、市民の多様なニーズを考慮した広場等を整備。
〇令和3年3月28日に公園が開園。市街化以前の土地の風景を再現した園内には、震災前の街路が残される。同年6月6日にみやぎ東日本大震災津波伝承館が開館。東日本大震災の記憶と教訓を伝え継ぐ場となる。
〇公園内では市民、NPO、企業等の多様な主体により、追悼、伝承、杜づくりに関する市民活動が行われる

⑦令和の果樹花里づくり構想予定地

 

⑧美馬森 八丸牧場

⑨東北電力本社

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